眞田幸村と徳川家康が本陣とした場所 茶臼山

眞田看板

皆さんイカがお過ごしでしょうか?のぶです。

GWです、ひきこもりが好きな自分もどっかいこーと思って以前から気になっていた茶臼山に行ってきました。

スポンサーリンク
336 x 280 – レクタングル(大)

徳川家康、眞田幸村が本陣を築いた場所「茶臼山」

茶臼山(ちゃうすやま)は、形状が茶の湯のてん茶を抹茶に挽く茶臼に似ているとされる富士山のような末広がりの形の山のことである。茶磨山(ちゃすりやま)とも呼ばれる。山の名前としては、通称を含め全国に200以上あるという。かつて戦で縁起を担ぐ武将に好まれ陣が張られた場所が多い。
byWikipedia

大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われている。
byWikipedia

茶臼山は元々は、聖徳太子が作った四天王寺院の遺構だったようです。その関係で他の場所に比べると陣地が築きやすい地形だったため、室町時代の細川晴元がここで築城。しかし、舎利寺の戦いで落城してしまう。そのあと68年後に徳川家康が大坂冬の陣で利用し、夏の陣で眞田幸村が利用することになる。
ブラタモリを見てると、町の発展などは地形の高さなどが非常に重要視されてます。
自分または一族のその後を決める戦いで少しでも有利に進めるために、戦いやすくなる地形として茶臼山が選ばれたんだろうなーと思いました。

茶臼山場所

茶臼山で夏の陣の大体の絵が描いてある(下記右の図)、見にくくて申し訳ないが、徳川と豊臣勢の間に天王寺駅が書いてある。
左の地図が現在の地図で一番下の赤いところが天王寺駅になる。歩いて10分ぐらいだろうか?
やっぱり戦争の時はかなり距離が開いてるなーと言うのがわかる。
なぜかGoogle先生の地図には茶臼山と名前が出てこないので、最初戸惑った。ここの地図には僕が勝手に茶臼山と書いている。

現在地図 大坂夏の陣の地図

天王寺駅から来ると左手に堀越神社がありそのすぐ隣が、駐車場がある。
Google先生の地図だと、堀越神社の上は、緑になってるが、実際は駐車場である。

 horikoshi_Shrine  parking
眞田看板 眞田看板02
ファミリーマートがあり、その隣は椅子とテーブルがあるので、ここでの休憩が凄く気持ちよさそう。ファミマもなんかわからんが、オサレになってるファミリーマート

駐車場入口に真田幸村の看板があります。そこの説明文に
「茶臼山には真田が赤備え(あかぞなえ)、躑躅(つつじ)の花が咲きたる如く、堂々の陣を張る」と書いてあります。
5月7日でつつじの季節で、武田信玄の赤備えにかけて真田の精鋭部隊が茶臼山に陣を張ると当時記してあったよーと言うことでしょう。
武田赤備えが有名ですが、武田は黒とか部隊ごとに色を分けてたそうです。でも赤が強いので、赤色が最強!と言うイメージがその後の大名に定着していったようです。真田も赤備えに、また徳川四天王に数えられる井伊直政も赤を採用している。
ちなみに、幕末まで井伊家(彦根藩)は軍装を赤で統一しており、ひこにゃんの兜が赤いのも井伊家が赤備えだからである。

茶臼山の入口

茶臼山入口 茶臼山トイレ
茶臼山看板 茶臼山看板02

茶臼山が大阪の陣史跡と書いてある
この奥が茶臼山、山と言うか丘になっている。ここからすぐ丘を登ることもできるが、左側の通路を通る下記看板がある

茶臼山看板01 大坂夏の陣の地図 施設茶臼山河底池

左二つは茶臼山の戦い、大坂夏の陣の戦いが説明してあり、ここで家康をもう一歩のとこまで追い詰めたが、堀越神社の説では、狐の加護があった徳川家康をうちとれなかったと言うことになります。
その後安居神社で真田幸村は討死することになります。
右は「史跡 茶臼山 河底池」と書いてあります。この茶臼山の前には河底池と言う池があります。

茶臼山頂上

茶臼山頂上

茶臼山頂上にいくとそこには何もないんです。
せめて茶臼山頂上とかなんか看板があれば良いのですが、何もなく、放送用のスピーカーが立ってるだけ、近所のおじさんたちが体操をしているだけで、ちょっとさみしかったです。

河底池

茶臼山から南の天王寺公園の方に向かうと、河底池があります。
この池自身は、788年ぐらいからあるみたいでこの池を作るきっかけになった「和気 清麻呂」氏から和気橋と言う名前の橋あかかってます。この和気氏は一度天皇を怒らせて「和気 清麻呂」から「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」と名前を改名させらて、鹿児島に左遷させられます。けど、この人は凄い一族で出身の岡山左遷先の鹿児島に和気神社があります。

和気橋から茶臼山河底池から茶臼山 和気橋からあべのハルカス河底池からあべのハルカス
和気橋から通天閣河底池から通天閣 橋の名前の由来河底池の橋

和気橋からの茶臼山を見ると大阪に今だけ緑があるって凄いなーと感心します。特に今日は良い天気だったため、緑の中をある時は凄く気持ちが良かったです。しかし、この木々が邪魔になり、茶臼山頂上からは周りを見渡すことが出来なかったですw

元和偃武(げんなえんぶ)の地

大阪の陣は豊臣家の滅亡で終わる。同じ年に日本の元号を慶長から「元和(げんな)」に家康の指示で変えます。
これをもって応仁の乱から150年余りの戦国時代と呼ばれる歴史が幕を閉じることになる。
現在の日本でも元号が変わるのは、明治以降日本では国家元首である天皇の交代が行われた際に行われるように、本来なら天皇の権限で元号が変わるのだが、天下統一したことを家康が内外に広めるため家康の指示をもって行われる。
しかしながら、やはり公家からの苦情が殺到したのか、色々あったようで、元和の時代は9年で終わる。

どこで戦国の世が終わったのかを考えるかは色々あるようですが、元号が変わった時に戦国時代が終わったと考えるのが一般的なようです。
自分は知らなかったけど、この戦国時代が終わったこと中国の古語から「武器を偃(ふ)せて武器庫に収める事を指している」を合わせ元和偃武(げんなえんぶ)と言うそうです。

そう思いながら茶臼山を見ていると何か良くわからんノスタルジーに浸れました。

正直なにか記念品とか売ってるわけじゃないので見るだけである。
ただ、ここでの戦いが日本の運命を大きく分けたのは紛れもない事実である。凄く綺麗な場所でもあるので、堀越神社、安居神社と共に訪れるのをお勧めする。

たぶん全部見るのに15分ぐらいだろうか?

JR天王寺駅から歩いて10分ぐらい。
現在地図

では今日はこれにてイカよろしくー!

スポンサーリンク
336 x 280 – レクタングル(大)

シェアする

フォローする

にほんブログ村ブログパーツ
スポンサーリンク
336 x 280 – レクタングル(大)